12/5 普通とか、当たり前とかが嫌いだが、別にスノッブな視点で言ってるわけじゃない

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僕は、ほかの人と比べて(社会人的に)致命的なくらい”普通”のことができない人間です。主観的な判断というよりは、周りからそう言われるのでそういうもんだと思ってます。

数年間、「なんで普通のことができないんだ」、「普通そんな考えしない」、「そんなの普通できるだろう」と言われるたびに記録と反省を兼ねて手帳に書いていたのですが、

他にも卒業研究で、「切羽詰まってるのに集中できない、ミスが見つかったけど、報告しても今までのように支離滅裂で伝わらないので報告しに行く足が重い、発覚してから怒られたほうがまだましに思えて逃避してしまい取り返しがつかなくなる。」とこもしょっちゅうでした。

また、「そもそも異常に気づけなくて、言われて初めて気付くのだが、これがまた初歩的で”普通”なら気づくはずな異状だったなんてことがしょっちゅうで、反省するたびに手帳にかいて、それでも防げずに、そのまま卒業した(と言う名の追放でしたね。卒業式顔出せませんでしたもん。)」という過去もあります。

こういう人間は世間じゃADHDを抱えている(?)人間みたいで、2015年位に疑ってみて、親に止められるまで精神病院に行ってました。

そんな思考の人間が科学をすれば、どうなるかなんて考えたくもないですが、現状そんな人間が科学で仕事をしているわけです。

親に精神病院を止められて、それこそ「病気のせいにするな」なんて言われてから、自分なりに頑張って社会で振る舞っている人たちのふりをすることで何とか同じ人間っぽく演じていまを過ごせていますが、結局ぼくは”普通でない”わけですから、ぼくがあなた達の当たり前がわからないように、あなた達もぼくの当たり前がわからないでしょう?

としか思えないのはいまも変わりません。

 

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ぼくが2019年にしょっちゅう聴いてた曲たちがプレイリストになってました。